今、私たちがお稽古している「小唄」は、正式には「江戸小唄」と言われるもので、その始まりは江戸時代にさかのぼります。
世に「江戸小唄」の誕生といわれる一曲があります。
散るは浮き 散らぬは沈むもみぢ葉の
かげは高尾か山川の 水の流れに月の影
1855年(安政二年の大地震の年)、当時16歳の清元お葉によってつくられました。
清元お葉は江戸時代後期の天保11年二代目清元延寿の長女として誕生しました。当時全盛を極めた清元の家元と、長唄の名手の母との血を引き、芸事には天才的な才能を発揮したと言われています。
そのお葉が父の死後に遺品を整理していたところ、不昧公(出雲国松江城主 松平治卿)のお作りになった和歌の短冊がでてきました。これは不昧公がお茶事に『山川』という菓子を作らせ、その菓子に寄せて読んだ歌、
「散るは浮き散らぬは沈むもみぢ葉の
影は高尾の山川の水」
清元贔屓の不昧公が二代目延寿に贈ったものでした。
これに当時流行の端唄のような曲をつけてはどうかと思いついたお葉は、さっそく節をつけてみますが、どうにも文句がたりません。そこで少し言葉を足して仕上げたところに、二代目清元斎兵衛が替手を即興でつけたのでとても曲が引き立ちました。これが端唄でもなく、歌沢節でもない、全く新しい「江戸小唄」の誕生となったのです。
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